図書館で借りて読了
ざっくり説明すると、細井平洲は享保13年(1728)に尾張で、農家の二男として生まれました。
実学を重んじ、経世済民(世を治め、民の苦しみを救うこと)を目的とした平洲の教えは全国各地の大名から一般庶民まで幅広く支持されます。西条藩(愛媛)、人吉藩(熊本)、紀州藩(和歌山)、郡山藩(奈良)などの藩で学者として迎えられています。
明和元年(1764)、37歳のとき、後に米沢藩(山形)の藩主となる上杉治憲(鷹山)の師として迎えられました。
藩主となった上杉鷹山は平洲の教えを実行して、人づくりを通して農業や商業を振興し窮乏を極めていた財政を一代で立て直し名君とうたわれました。
さて、平洲の政治信条は細井平洲の私塾・嚶鳴館での講義録などを弟子たちがまとめた『嚶鳴館遺草』によれば、
「修身・斉家・治国・平天下」
となります。これは細井平洲が座右の書としていた古代中国の政治指導書『大学』で説かれていることで、
天下を平ら(平天下)にするには、国を正しく治めること(治国)、そのためには個人が各家庭をきちんと整えること(斉家)、そのためには個人個人が自分の身をよく修めること(修身)である。
つまり、「天下を安定させるには、個人が自分の身を正しく修めることが大切」であるという教えだ。
それを踏まえて考えれば、日常の読書や筋トレは修身であり、ドラム式洗濯機や食洗機を導入したり、ノスケと遊びに出かけて嫁子が少しでも休むことができれば斉家になり、日本国の平天下に貢献できているのだ!というモチベーションになる。
そして、嚶鳴館遺草には「根本の三箇条」というものがあり、その第一が、
「入るを測りて、出るを制す」
収入から予算を決める。無理なら節約して捻出する。前ブログの二宮尊徳さんの「分限を守る」とまったく同じ。ちなみに二宮金次郎さんの有名な銅像で薪を背負いながら読んでいる本は『大学』であり、年代的にも二宮尊徳は細井平洲の影響を強く受けていると考えられる。
細井平洲と嚶鳴館遺草はその後も吉田松陰や西郷隆盛らに大きな影響を与え、座右の書とされている。内村鑑三著『代表的日本人』の5人の中には細井平洲の影響を受けた、上杉鷹山・西郷隆盛・二宮尊徳の3名が選出されている。(残りの2人は中江藤樹と日蓮)
そもそも細井平洲の素晴らしさを説明するのにやぎ氏ごときの力では不可能で、100分の1以下しか伝えられない。
やぎ氏は西郷隆盛の伝記を読んでいるときに嚶鳴館遺草という聞いたことのない書籍が登場してGoogle検索した結果、細井平洲へ辿り着いた。
ちなみにメルカリで現代語訳された嚶鳴館遺草を2,000円で発見して狂喜乱舞しながらポチり、今手元にある。
恐らく嚶鳴館遺草はやぎ氏の座右の書となり、やぎ氏もそのうちに地元の市議会議員として登場するのかもしれない。
それを嫁子に伝えると、
『ハイ、ガンバッテー』
とまったく相手にされていない。
ただ『市議会議員になる』なんていうのは本気じゃないってのはお互いに分かっていると思うけど、目標に設定されているだけで『決断するときの指針』になるとやぎ氏は思うのですよ。
例えば寝る前に寝具でダラダラとショート動画を観ようとしてるときに、
『市議会議員が目標なら読書(筋トレ)しよう。』とか。
出張先で居酒屋をハシゴするくらいなら、その土地の物を食べて、寺社仏閣を巡ろう!とかね。
その心掛けが10年後、20年後の顔つき・収入・腹回りに出てくるのではないかと思うのよ。
最後に今、選挙に出たら。地元に友達4人いるから、親兄弟親戚の票をかき集めて10票くらいは集まるかな🤔
完

コメント