こんばんは
ノスケ(2歳)が隣でスヤスヤ寝ています。今日は2人っきりです。
というのも、9月からやぎ氏が1カ月程度の出張となります。そのため、嫁子のワンオペ育児生活がまた始まります。
今回は、息抜きということで1人で実家に帰ってもらっています。2泊3日ですが。
そうしたノスケとの2人っきりの時間も5.6回目ですが、ふと気が付きました。
それは
『やぎ氏(親)はノスケ(子供)に日々、許されている。』ということです。
仏のやぎ氏と呼ばれるほど怒りを表に出さないやぎ氏ですが、ノスケさんがイヤイヤ期ということもあり、なんでも『やだやだ』言うので苛つくこともあります。
そんな、やだやだにイライラしているときに歯ブラシから逃げられてしまい、いつもより大きな声で
『は・ぶ・ら・し!!』
と言ってしまいました。
ノスケは『こあいよぉ』と言ってキッチンに隠れてベソをかいていました。
一瞬、自己嫌悪に陥りましたが、気持ちを切り替えてノスケの歯を磨きました。
これはノスケのためだから、泣こうが嫌われようが、やらないと!という思いでした。
そして、ノスケの歯を覗き込もうと顔を近づけたときに、ノスケはやぎ氏の手を取り、自分の頬に押し当てて、ニコっと微笑みました。
もう笑ってるよと思った、その瞬間になぜか、考えてしまいました。
親になるとは、許されることを学ぶことなのだ。自らの子供に許されること。
なぜなら、私達は親になると間違うから。自らが良かれと思って、子供達にできるだけのことをしようとするけど、その多くは子供達の向かう方向性とは、異なっている場合が多い。
結果として何をやっても間違っていることが多い。自分としては『子供のためを思って!』と一生懸命なのだけど。
ノスケが誕生して『無償の愛』は親から子へ与えるもの思っていたが、毎日毎日、子(ノスケ)から与えられていたことにやっと気が付くことができました。
遅いけど。
なんか宗教的な思考に陥る1日でした。
完
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