今週末も筋力トレーニングで全身がバキバキの筋肉痛のやぎ氏。
散歩兼足腰の鍛錬ということで本日は広島県呉市にある鯉之宮神社に伺いました。
この神社の境内には明治に山口県沖で沈没した第六潜水艇の供養塔があります。



明治43年4月15日、第六潜水艇は演習をするために山口県沖に出ました。
午前10時、演習を始めると間もなく艇に故障が発生。海水が浸入し、そのため艇は沈みました。
この時、艇長・佐久間勉は少しも騒がず、部下に命じて応急の手段を取らせ、出来るかぎり力を尽くしましたが艇はどうしても浮上しません。
その上、有毒ガスが発生し呼吸が困難になり、どうすることも出来ない状態に。艇長はもうこれまでと最後の決心をしました。司令塔の小さなのぞき穴に入って来るかすかな光をたよりに、手帳に遺言を書き残しました。
遺書には第一に艇を沈め部下を死なせた罪を謝し、乗員一同最後までよく職務を守ったことを述べ、またこの事故のために将来、有用な新兵器である潜水艇の発達が遅れるような事があってはならないと、沈没の原因や沈んでからの様子を詳しく記してあります。
次に部下の遺族が困らぬようにと願い、上官・先輩・恩師の名を書連ねて告別の意を表し、最後に12時40分と書いてあります。
艇の引揚げられた時には、艇長以下14人の乗員が最後まで各受け持ちの場所で亡くなっていました。
遺書はその時艇長の上衣の中から出たのです。
格言にあります。
人事ヲ尽シテ天命ヲ待ツ。
上記の内容は『沈勇』というタイトルで修身(昔の道徳にあたる)の教科書にも載っていました。
そして鯉之宮神社には今でも潜水艦乗員が清掃に訪れるそうです。
沈着剛勇、日本人としてやぎ氏もこうありたいものですね。
完
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