【広島】縮景園

やぎ散歩
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仕事でせっかく来たので広島観光せり。

浅野四十二万六千石、名勝・縮景園です。

元々は越後の野人であるやぎ氏。高校を卒業してからずっとコンクリートタウンの住人になりましたが、やはり木々に囲まれた日本庭園は落ち着きますなぁ。

平和記念公園や広島城も近くセットで行くと良いですね。

日清・日露戦争では広島城に大本営が設置されていたため、明治天皇の休息される場所になっていたみたいです。
明月亭、月を鑑賞する場所ですって。素敵やん。
茶室、素敵やん。
野人であるやぎ氏、花の名前が分からぬとも綺麗である。ということはわかります。ノスケに聞かれるようになるだろうし、学ばなくてはいかんな。

この庭園は浅野家家老・上田宗箇による設計です。歴代藩主により手直しがされ、中央に見える跨虹橋(ここうきょう)は原子爆弾にも耐えた堅固な造りになっています。

尚、縮景園は爆心地から2㌔程度の場所にあり、ほぼ全てが破壊され、助かった大勢の人が集まりましたが治療も受けることができずに亡くなり、縮景園に埋葬されました。

以前に流行った『パワースポット』なる言葉は好きではありませんが、厳かな雰囲気があるのはそのためかもしれません。

上田宗箇(1563〜1650)は茶道を千利休、古田織部に学び、宗箇流を立ち上げた風流人です。

さらに槍の達人であり、数々の武功を上げています。大坂の陣では浅野家の野戦指揮官として、陣頭指揮も取っていた猛々しい武将でもありました。

現代の男たちは織田信長や徳川家康にはなれないけれど、頑張れば上田宗箇のようにはなれると思います。

仕事が出来て、筋肉ムキムキ💪で趣味も充実した人のことです。

ただ中国地方の大大名である毛利元就が若き日に『天下統一を志して、やっと安芸一国(広島県西部)を統一できるのだ』と言っているように、最初から上田宗箇さんを目指していたら、それ以下の人物にしかなれず、徳川家康(てっぺん)を目指して努力した一部の人が、やっと上田宗箇さんのようになれるのでしょうね。

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